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今昔物語(機械釘の変遷その1)

昨日の解答はこちらになります。


これはT釘と言ってロール釘が発売されるよりも遙か以前に野地板打ち用に出回っていた釘になります。
この釘が建築用に発売されたのは今から40年以上前になります。
どうしてこんな古い話を持ち出したか?
実はこの釘の発売当時の思い出があったからです。


当時私が小学校の3年か4年だったと思います。
小学校の隣の体育館で「建築展」と題した催しがありまして、その中の一角のブースを父が間借りして、
日立電動工具のPRをしていました。
そのため父が
「隣の体育館にいるから帰りに寄れ。」
と言われていましたので、寄ってみると、電動工具が殺風景に並んでいる手前足元に、このT釘打機の試し打ちをしていました。
日立のお兄さん(営業マン)が「パン!パン!パン!」と打っている音を聞くだけで、そばに寄れません。
日立のお兄さんもさすがに人が近いと警戒しています。
静かになったところでブースに入って雑談していると、そこに二人の同じクラスの小学生M君とS君がこそこそとやってきて
そのM君がいきなり釘打機を持って
「パン!パン!パン!」
驚いた日立のお兄さんはすぐに
「こらーっ!」
二人の小学生は慌てて逃げていきましたが、恥ずかしくてその二人が同じクラスの二人組とは言えませんでした。
とにかく当時の小学校は全校児童1500人のマンモス校
同じクラスの児童に出会う確率も低いはずですが・・・次の日も彼らには何も言えませんでした。
このM君いつもは仲良くしていましたが、小学4年の秋に当時は、当店は移転前で現在の当店の前で大型車に左巻き込みされ、
半年以上入院する重症を負いました。顔は完全に潰されて、整形手術しての小学校復帰でした。
マンモス校だけに中学校は別になったんですが、中学校の時に耳鼻科で偶然再会。
しかも同じ血小板の検査を一緒に行いました。
自分は異常なしだったんですが、M君は血が止まりにくい結果でした。
「怪我をするとタチが悪いので、もう事故を起すなよ。」
と言って別れました。その後二度と会うことはありませんでした。
それから20年後、いつもお世話になっている大工さんでM君のお父さんの弟さんが
「そこ(M君の家)で仕事をするので配達頼む。」
と言われて、
「○○さん(M君のお父さん)の家ですか?」
「何で、兄御を知っとるだ?」
「だってM君と同級生だから。」
「あぁそうだったな。」(大工さんの長女と自分が同級生と言うことは知っていますから)
「ところでM君どうしています?」
「去年病気で亡くなった。」
「えっ!ひょっとして白血病?」
「何で知っとるだ?」
この後、耳鼻科の話をしたのは言うまでもありません。


話が大きく逸れましたが、T釘の全盛期がそれほど永くありませんでした。
続く
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