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6月9日

本日は、父方の父である祖父の71回目の命日である。
祖父は終戦の年に名古屋市の愛知時計と言う名の軍事工場で働いている時に爆弾を落とされ亡くなりました。
その時、父は同じ名古屋市にいて、続く熱田空襲により、家も焼かれて西尾市の親戚の家に逃げ込みました。
6か月前に父の祖母が三河地震で身代わりに亡くなったばかりの父はまだ9歳。
ですから、私は祖父を存じませんが、祖父と父の祖母のおかげで現在があると思っております。


昨日、ロックには縁のない老朽化しつつある自動ドアが不調で、
完全に締まらずドアモーターが何度も唸っていました。

原因は想像がついていますので、間があるうちに分解します。

自動ドアの下の振れ止めが片方しか付いていませんでした。
元々透明の樹脂製のものが付いていましたが、20年くらい前、片方破損した時に代品を父が花梨で作ってくれたので、

同じものをステン羽根定規の当て木に使う予定だった楢のフロアを切って付けました。

この自動ドアは30数年頑張ってくれておりますが、最初に故障した時に
納入会社がサービスできなくなり、岡崎市の専門業者を紹介していただきまして
親切で優しい人の良さそうで真面目でしかも修理の手さばきが良い。
まさに見習わなければいけないような方だったんですが、その方ど少し前に見かけた方にそっくりでした。
その見かけたところが、先日サミットがあった志摩に今は無き目立て屋の組合旅行に行ったときでした。
旅館に入ると、目立て屋の組合の招待看板の隣に碧南のサッシ屋さんの招待看板もありまして、
二次会のバーに行くとどう見てもサッシ屋さんらしき集団が見えました。
お互い三河弁丸出しなので、碧南の方と分かると半年前まで、そのサッシ屋さんに勤めていたHさんの話をしたら
バーの一番端にいた人が駆け寄ってきて
「お前、H知っとるのか?」
「いつもお世話になっておりますが?」
「アイツはロクなヤツじゃない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
かなり泥酔していて何を言っているのか良く分かりませんが30分くらい絡まれた記憶だけが残っていました。
念のために関係者に聞いたら、
「Kさんっていうんですけど、Hさんと馬が合わなくて今は独立してやっています。」
Kさんは珍しい苗字で、地元では有名な名前なので、忘れたくても忘れません。


話を戻しますが、今回の自動ドアの修理屋さんはとても同じ方とは思えませんでしたが、
最後に修理代をお支払してお帰りになられましたが、
領収書のサインが、やっぱり”K”さんになっていました。