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当店の創設者 その3

父が手持ちの資本金1万円で独立するに当たり、近所の大工さんに改装費はいくらかかるか尋ねたところ
「1万円くらいかかる。」
と言われました。
しかし虎の子の1万円で改装すると商品を仕入れることが出来ません。
父は大工さんに
「改装費を目立て代で返す形でいいですか?」
と尋ねたところOKを頂きました。
父が開店当初からしたかった道具の販売をするための1万円を先に開業した兄弟子Mのところへ自転車で行き、1万円分安く分けていただき
手狭ではあった新店舗に、こっそり並べ、目立て代のお返し条件で改装した店舗が昭和33年3月1日に開業しました。
当時は目立ての仕事が多く、同業者も手一杯で新しい目立て屋ならすぐやってくれるだろうということで、開店時から仕事がそこそこあったようです。
当然他店よりも安くやっていたのもありましたが、商品はなくなると、集金したお金でまた兄弟子のところに行っては仕入れての繰り返し。
やがて色々な道具問屋さんが噂を聞いて何件も来てくれるようになりました。
さすがに安くやっていた目立て代も(当時は物価や人件費の高騰もあり)組合を作って協定価格にしました。
電動工具も開店直後から、取り扱っていましたが最初はなかなか売れなかったようですが、昭和34年9月の伊勢湾台風で地元に甚大な被害が出ました。
台風の直後から、地元の大工さんが多忙になり、当時電気カンナに普及率が急激に伸び、その波の乗れたことが、現在も生きていると思っています。
父は最初に電気カンナを仕入れた時、奥の部屋で新聞紙を広げ、その場で仕入れた電気カンナを分解し、
「こんな単純な機械か。これなら自分でも修理できる。」
と確信し、修理は自店で行う方針がこの時確立されました。
私が生まれたのもこの頃です。
仕入れをしなくてもお付き合いのあった兄弟子Mさんも先に開業している分もあり、当店よりも頑張ってたくさん商品を販売し業績の差は縮まりません。
しかし私が中学2年に時に、気が狂ったのか兄弟子Mさんは首を吊って自害されました。
丁度、父が祖父(母の父)の通夜に行く直前にこの知らせがあり、私の隣で大声で
「うそだー」
と言っていたのを今でも忘れません。
私の父が業界に入ってから色々とお世話になった業界の大先輩のMさんには改めて御冥福をお祈りいたします。
こんな波乱にとんだ父でしたが、5年前喉頭がんで他界しました。
父を始め、色々な方に支えられて今日まで至っている当店ですが、これからはその皆さんに恩返しの出来るような仕事が出来ればと思っております。
今度ともよろしくお願いいたします。
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