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厄介な「普通」

「普通の鋸ください。」
「普通の鉋ください。」
これが店頭販売なら、見本を見せて確認ができるが、電話では見せることができない。
電話で「どんな鋸ですか?」と伺っても、普通の鋸と表現されるような方が返事ができないことが多い。
気の短い方なら「どんな作業に使いますか?」と伺っても
「どうして普通で分からないのか?」とお叱りを頂く。
万人が普通と言えるものも一部あるが、大半は「普通」と言われる人が普通と思っているものである。
いつも購入するものであれば、それなりの知識があるので「普通」とは言わない。
受ける側も購入歴があったり、現場で使っていたり、店頭に見えるときの車に乗っていたりするのである程度は分かるが、
滅多に買うことのないものほど電話では伝わらない。
結局「普通」という言葉は説明をできない時の逃げのような気がする。
たとえば「正確な名称が分からないが私の必要な鋸が欲しい。」と「普通の鋸が欲しい。」は
ほぼ同じ意味に取れる。
しかし、前述は言葉の腰が低いが後述はそうではない。
言葉の腰が低ければ、質問を返しても否定したことにはならないが
腰が低くない内容に対して質問を返すと否定したことになり相手に不快を与えてしまう。
そのためにさらにこちらも腰を低くして質問をする前に
「大変申し訳ございませんが、当方頭が悪いので」と付け加えたいが
ここまで言うと相手をバカにした表現と言われる可能性もあるので
「大変申し訳ございませんが」くらいしか言えない。


もう一つ普通で厄介なのは自分のことを「普通」と言う方。
ここで言う「普通」は「良い」と「悪い」の中間の意味ではない。
「一般的」とか「悪くない」という意味である。
このような評価は第三者がすることであり、本人が評価することは好ましいとは思えない。
電話の件と同様、否定すると厄介である。


結局、「普通」と言われたら「否定しないでください」という意味が含まれているような気がするので、
さらに、自分を殺して相手の気遣いが必要になる。


本日は愚痴をタラタラと書いて、申し訳ございません。