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私の母

先週の月曜日に病院から母の容体がおかしいので呼び出されるも

すぐに病室に伺うと落ちていた心拍数が復活する。

ただ、生前に会えないといけないからと言われ子と孫に面会依頼する。

それもつかの間、数時間後に心拍数が毎分10近くまで落ちたので

すぐに伺うが、また復活。

何かコロナで1年も会っていなかったので、会いたいから仮病をしているような感じ。

ところが火・水・木と音沙汰なし。

金曜日に帰宅後、妹から電話で、すぐに行く。

病室に着いたときは、すでに心肺停止。

すぐに医者が来て瞳孔を確認しようとするので

「弟があと10分できますから。」

というと検査をやめたんですが、弟が来てもカミさんが来ても

先生が来ないのでナースステーションに確認に行くと

「死亡確認は終わっています。」

小言も言えませんので「まぁ良いっか~」って感じで全員に承諾を取る。

すぐにお寺さんに電話すると葬儀屋も霊柩車も手配していただけた。

1時間半くらいで霊柩車で母とともに無言の帰宅をする。

すでに午前2時くらいだったので母とは別にいつもの寝床でしっかり寝て

6時起きで店が開く前に行うべきことを収めて、葬儀屋と打ち合わせて

妹には死亡証明引き取りと火葬許可をお願いし希望の日曜葬儀を決定。

その合間に親戚に連絡を入れるが、平日日中のため、なかなか連絡がつかなかったり

葬儀屋が通夜当日午前11時まで各日食事数・生花・篭盛・通夜返し・香典返し

の数の締め切りということで

慌てて、数字を集めたが、現実は予定外の方が来られたので冷や汗ものでした。

さらに司会用にと

母のエピソードも即日提出ということで書こうと思いましたが

内容が、好きな色・好きな食べ物・趣味・印象に残った思い出・・・など

母には該当なしの項目ばかり。

母は嫁いでからわがままの亭主とわがままな姑の狭間に入って

一生懸命尽くしてきただけの人生だったような人で

最初は織布工場の女工をしていて、

その後ガスやに養女に行ってガス配管などまで行っていましたが

途中で実家に戻ってしまったので次の勤務先が私の家の隣の製網工場でした。

それから、間もなく隣に嫁いだのはご想像にお任せします。

当店に嫁いでから姑の権力の方が強かったので

祖母が営む古着の修繕の手伝いをしていましたが

1年後に祖母が胆石で入院し、

その後心臓疾患で亡くなるまでの16年間入退院を繰り返し、

母・妻・道具屋店員・姑看病の4つのわらじを履き続けて頑張っていました。

その後、自分が店の手伝いをするようになったとき

仕事は全くできませんが挨拶も全くできないので、すべてのことを

母に教わりました。

ちなみに母の得意技は”鍋焦がし”と”水出しっぱなし”

料理しながら店に出る、限られた時間の中で少しでもたくさんの処理がしたい

欲の深い方でした。

でも私はそんな母親が大好きです。