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今昔物語(マルノコ編1)

マルノコは昔から使用頻度が一番高く、最も元が取れる機械と言われています。
普及し始めたのは私が生まれたころの昭和30年代後半と言われております。
一番最初は刃の直径が180mmで穴径が25.4mmでした。左手のハンドルが付いて今のマルノコの1.5倍くらい重いんです。
今から10年くらい前に、店を畳む金物店からこのマルノコ(マキタ#5800)を譲り受けましたが、
外径180mmで穴径25.4mmなんて刃は、その当時でも入手は厳しいので、処分しました。
偶然リサイクルショップに行く用事がありましたので、
「このマルノコ年式は古いですが、新品です。」
と、売りに出したら2500円で買っていただけました。ラッキー!(でも、これを買った人は後で、刃が入手できず問題が出そうですが・・・。)
もちろん当時のマルノコはすべて通称”ハイス刃”と呼ばれるチップの付いていない刃。
(ハイス刃と呼んでいますが、実際に「ハイス=高速度工具鋼」ではなく、SK材と呼ばれるカッターナイフ程度の材質になります。)
古材や硬木・釘などを切ったら一発で刃が止まります。
でも、この頃は手鋸が主流の時代。
打ち壊しに使うのは雁頭鋸か手曲鋸のように極端に粗い鋸で切るため、マルノコの出番は無かったようです。
刻みや造作の大引き切断には両刃鋸の尺一か尺二を使う時代。
だからマルノコのメイン作業は素材の挽き割。そのため左手のハンドルは必須になります。
その後、横切りにも使われるようになったため、現在の軽量化に進んでいきます。チップソーが普及したのは昭和50年以降。
それまではハイス刃をグラインダーで研いで、アサリを曲げていました。
チップソーの出始めも刃数は外径180mmで32〜40P。
当時の大工さんはマルノコで突き(ヅキ=化粧切断ライン)を切るような作業には使いません。捨て切り(非化粧切断ライン)専門でした。
だから細かい刃の要望は、ほとんどありません。
昭和55年ごろからブレーキ付マルノコが登場しました。
一番最初のブレーキ付マルノコは日立のPSB-7。
現在のステータコイルの中にあるブレーキングコイルに発電電流を流す方式ではなく、
電源コードが5芯になっていてアースと2本の本線を除く2本が電源プラグのところで繋がっており、
そのUターンしている2本のコードに発電電流を流していました。
続く
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